「富岡製糸場と絹遺産群」世界遺産登録記念 座談会

平成26年6月、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産への登録が決定しました。日本の近代化遺産では初登録となります。

私たち細谷工業は昭和50年に富岡市に拠点を開設以来、長きにわたり多くのお客様に巡り合い、地域の皆様にも大変お世話になって参りました。弊社にとっても身近な存在である、富岡製糸場の世界遺産登録は大変うれしく感慨深いものがあります。世界遺産登録を祝し、富岡市のお客様にお集まりいただき、富岡製糸場や富岡市の今後について大いに語っていただきました。


富岡製糸場

富岡製糸場は、明治5年(1872)、政府により主要輸出品である生糸の品質向上と増産のために、富岡の地に日本初の官営の模範器械製糸工場として設立されました。民営化後も一貫して製糸を行い、製糸技術開発の最先端として国内養蚕・製糸業を世界トップ水準に牽引しました。また、田島家、荒船風穴、高山社などの養蚕業と連携して、蚕の優良品種の開発と普及を主導しました。和洋技術を融合した工場建築の代表であり、長さ100mを超える木骨レンガ造の繭倉庫や繰糸場など、主要な施設がほぼ完全な形で、創業当時のまま残されています。

富岡製糸場の世界遺産登録が決定しました。皆様の感想をお聞かせください。

小堀様
世界遺産になって、「いよいよ富岡の町づくりが始まったな」という思いと、「責任」というものが芽生えてきました。子どもたちや孫たちにどんなかたちで残していけるかは、自分たちがどんなことをするかで決まってしまいます。中途半端なことをすれば、次の世代が非常に困るでしょう。私たちが経営している会社としても利益を出し続けなければいけませんが、同時に地域社会にも積極的に参加して、その中でどんなことができるのかを真剣に考えていかなければいけません。自分の会社や店だけが利益を出しても地域全体が良くなることはないですから。

武井様
富岡製糸場が富岡市のものだけではなく、世界のものになったんだと実感しました。地元の私たちがしっかりと守っていきたいと思っています。
製糸場だけでなく、富岡市全体が有名になるといいですね。

井上様
私は絵手紙を通じて世界遺産への応援をしてきました。富岡市の観光物産館「お富ちゃん家」を借りて絵手紙展をやらせていただいていたので、お礼の気持ちで絵手紙の仲間を製糸場にお連れしたり、解説員の方にお願いして勉強会を開いたり、早くから活動してきました。登録が決まってたくさん祝福の電話をいただきました。また、仲間が「登録おめでとう」という絵手紙を送ってくれました。それは今お店に飾っています。私の活動を見てくれていたのかなって。それは嬉しいことですよね。

佐俣様
世界遺産になってからの製糸場周辺を見渡すと、何十年か前に娘を連れて原宿の竹下通りを歩いた時と同じようなにぎわいです。そんなことを思い出しました。狭い路地にも車が入ってくるので交通事故が起きなければ良いなと思っています。この辺りがこんなことになるなんて夢にも思いませんでした。

世界遺産登録までの道のりで印象に残っている事がありましたら教えてください。

佐俣様
実は、群馬県には国宝がひとつも無いので、富岡製糸場を国宝にしようという動きがありました。世界遺産はそれ以上に価値があるので非常に光栄に思います。

田口様
私も武井社長も富岡青年会議所で製糸場を核にした地域振興活動を行ってきました。先輩方が始めた「ザ・シルクデー」というイベントは今も続いています。佐俣社長はスタート時のメンバーですよね。

佐俣様
ええ。約30年前に「ザ・シルクデー」を始めたころは、夏場に一週間くらい製糸場を開放しても、5千人くらいしか見学者が訪れませんでした。それも生徒を連れて見学に来る学者さんが多かったです。やはり、学者さんは製糸場の価値を昔から良く分かっていたんですね。当時は一般の人はもちろん、富岡市民も製糸場の歴史やその価値を良く知らなかった。教科書で見てはいたけれど、なかなか理解ができなかったようです。

井上様 
片倉工業さんが平成17年に富岡市に建物を寄付した時からいろいろな行事が始まったので、いつもアンテナを張って行事に参加しています。やはり見ているだけじゃなくて参加しなければ、その楽しさは体験できません。世界遺産登録が決まった日は、一生に一度のことなのでお店をお休みにして提灯行列に参加しました。

佐俣様
当時の県知事が富岡製糸場を世界遺産にしたいと言ったのが平成15年。そのころ街の中をきれいに整備しようと富岡市は都市計画を進めていました。国もある程度認めていたようです。ところが、世界遺産登録へ方向転換したことによって、古いままの町が残りました。あと一歩早く都市計画をしていたら、今とは全く違った様子になっていたのかもしれません。

世界遺産登録後のこれからを見据えてお考えになっていることや、感じられていることなどありましたらお聞かせください。

武井様 
平成23年に城町通りに「たまご農場たけい」をオープンしました。4月26日の登録勧告を受けてからは、今までの倍以上のお客様が来店するようになりました。さらに世界遺産登録後は、「お土産を買って帰ろう」「証を残そう」という思いが強いのか、お客様の購買意欲が違うんですよね。農園では放牧卵と農産物を育てています。いまのところ農業には直接的な登録の影響はありませんが、名産のコンニャクや下仁田ネギが世界遺産と一緒にもっとメジャーになってもらえればいいなと思います。

田口様 
商店街で「茶のまるいち園」を長年営んでいます。店内が混んでいることの影響だと思いますが、いつも来ていただいているお客様の足が遠のいた感じがあります。やはり軸足は普段のお客様だと改めて感じていますので、観光のお客様と地元のお客様とのバランスをどう取っていくかがこれからの課題です。今までのお客様をより一層大切にしたいなという思いがあります。

井上様 
私も同じことを感じています。混んでいる時間を外して来てくださる方もいますが、普段のお客様が来なくなってしまい寂しいものを感じます。それから、小堀さんがおっしゃっていた「責任」という言葉はすごくよく分かります。せっかく富岡を目指して来てくださったお客様に対して粗相があったら、それが富岡のイメージになってしまうということを皆が心に留めて商売をしてほしいです。上げ底の商品や、観光地価格のようなお土産は売って欲しくないなと思います。それからトイレは常にきれいにしておいた方がいいですね。公衆トイレはもちろん、店舗のトイレも個々の問題ではなく皆の責任として理解を深めた方が良いと思います。

小堀様
以前は2店舗ぐらいに減少した城町の商店街が、今では30店舗ほどの規模になりました。世界の目に触れる商店街として成り立つのか、広告宣伝の仕方も商店街パワーを発揮し、皆で力を合わせて一緒に考えるべきだと思います。行政や商工会議所などに頼ってばかりでは、いつになっても変わらないでしょう。そのうちに人が来なくなってしまいます。早く動かなければ。マスコミに出る数も少なくなって、富岡が忘れられてしまいます。そんなことにならないように皆でどうするか考えることが本当に大切なことだと思います。

皆で力を合わせ考え実行することで町が活性化し、それがご商売にも繋がる事が大切という事ですね。
井上さんの絵手紙教室は、文化を広める地域貢献として大変素晴らしいと思うのですが、もう少しお話を聞かせていただけますか。

井上様
私は以前、重い病気を患って、落ち込んで心を閉ざしていた時期がありました。そんな私に送ってくれた親友からの一枚の絵手紙が私を救ってくれました。これがきっかけで絵手紙を始めて、私自身がとても元気になりました。自分と同じように絵手紙の力で誰かを励ましたい。そんな思いで絵手紙教室をやっています。上信電鉄の「絵手紙列車」も利用するお客さんに元気を届けたいという思いで始めました。また、富岡市のまちづくり課が絵手紙にとても理解があって、町の中のお店や蔵などにも飾らせていただいているので、絵手紙で町巡りもできます。
絵手紙をやっている人は日本中にいますから、絵手紙を通じて全国からたくさんの方に来ていただけると嬉しいですね。

小堀様 
実はわたしも絵手紙を習いました。井上さんは私の先生なんですよ。

井上様
はい、とても良い生徒さんです(笑)。
絵手紙を教えていてこんなエピソードがありました。中学校で色紙に絵と言葉を書いて、家族に感謝の気持ちを表わす、立志式というのを行っていますが、絵手紙を教えてくれないかという話が下仁田中学校よりあり、2年生約50人に絵手紙教室を行いました。当日はバナナや靴、グローブなどそれぞれ自分が好きなものや思い出の品を持って来て描いていたのですが、その中に小さい消しゴムを描いている生徒がいたのです。「えっ消しゴム?」と始めは思ったのですが、消しゴムの絵の横に「この消しゴムで今までのいたずらを消せたらいいな」という言葉が書いてありました。深みのある言葉に感動し、その絵手紙をみんなに紹介しました。その子は恥ずかしがっていましたが、私はその生徒のことを一生忘れません。その子もきっと忘れないでいてくれるのではないでしょうか。そんな素晴しい出会いを体験しました。
後日この話をお店でしていたら、ひとりで食事をしていたお客様が、お会計時に「とてもいい話を聞かせてもらいました。僕は教員で富岡製糸場の見学に長野から来ました。帰ったら今のお話を子どもたちに伝えます」と言ってくださいました。絵手紙を通してこんな素敵な出会いもあるのです。

過去から今へ引き継がれ、世界遺産となった富岡製糸場を未来へ伝えていくためには、若い皆さんのパワーが必要だと思うのですが。

田口様
そうですね。世界遺産登録は富岡にとって大きなターニングポイントだと思っています。これから先どう動くのかまだはっきりとしたイメージがわかないのですが、何か動かないとだめだと感じています。とにかく前に進ませなければならないですね。

小堀様
富岡製糸場を訪れる多くの人へのおもてなし精神で、月に1度、近隣の商店街の方やボランティアが集まって、富岡製糸場内の清掃活動を行っています。毎月の清掃活動に多くの方が参加されるようになり、近隣の方とのちょっとした触れ合いや会話の場となっています。
これからは若い方たちに引っ張って行ってもらいたいと思っています。ね、武井さん(笑)。

武井様
はい、頑張ります!

井上様 
私はブログをやっているので広報活動の一環として富岡を発信できたらと思っています。私もまだまだ若い人たちに負けていられません(笑)。

佐俣様 
富岡製糸場に長年かかわってきた私たちの意思を受け継いで、若手が地元を盛り上げてくれることを願っています。

小堀様 
今日は次世代を担う若手と話すことができて本当によかった。富岡のこれからを見据えた今後の活躍を大いに期待しています。

本日はお忙しいところお集まりいただき誠にありがとうございました。
富岡製糸場が世界遺産に登録されるまでの道のりや、次世代にきちんと伝える仕組みづくりについて和やかな中にも真剣にお話をいただき、大変有意義な時間となりました。
富岡市のますますのご発展と皆様方のご健勝、ご繁栄を心よりお祈り申し上げ、閉会とさせていただきます。
ありがとうございました。

ホソヤのお客様紹介はコチラ vol.7

有限会社 萬屋料理店様「富岡の歴史を知る創業102年の老舗割烹料理店」

株式会社 石匠苑様「創立55周年を迎えた石のプロ集団」

有限会社 新洋亭様「お腹も心も満たされる懐かしい洋食屋さん」

株式会社 まるいち様「創業以来、地域に根ざし発展し続ける」

農業生産法人有限会社 武井農園様「生産者から消費者への直販売にこだわる」

〈編集後記〉

7月の暑いさなか、まる二日をかけての取材となりました。

大変お忙しい方々にお声掛けさせていただきましたので、一同にお集まり頂くのは難しいかと思いましたが、無理なお願いを皆様快くお引き受け下さりました。事前準備から座談会まで多くの時間を割いてご対応下さり、本当にありがとうございました。

座談会の準備で何度かお伺いしているうちに、本日ご出席の皆様が、世界遺産登録の話しが持ち上がるずっと前より、ご商売に励みながら、少ないご自分の時間を割いて様々な方面、色々な形で富岡の「まちづくり」に参画して来られた事を知りました。まさに「富岡は一日にしてならず」。多くの皆様の協力と長きに渡るまちづくり活動が、最終的には富岡製糸場の世界遺産登録にも繋がったものと感じました。皆様の富岡の「まちづくり」に対する思いを2日間にかけてお伺い致しましたが、時を忘れてお話に聞き入ってしまいました。皆様のお話を伺い心持ちを新たにした次第です。

今、富岡では市民なら誰しも一度は食べた事があるソウルフード『ほるもん揚げ』を「まちなか食べ歩きB級グルメ」として世に出す努力をされているとお聞きしました。各店で味の特徴を出しつつ、協力して販売を促進されているそうです。良いものを残しつつ変化にも挑戦する。「世界遺産があるまち富岡」が末永く繁栄し、明るい笑い声が溢れるまちでありつづけますよう祈念申し上げ取材御礼と致します。

佐俣様、小堀様、井上様、田口様、武井様、ご協力ありがとうございました。皆様の益々のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。